2017-02-12から1日間の記事一覧
鍋料理は、多人数での会食のときには便利である。大鍋に煮た食物をそれぞれに取って食すということは、昔は共同体としての意識を再確認するという効果もあった。 それは家庭においても同じで、囲炉裏を囲んで、同じ火で炊いた一つの鍋から料理をわけて食べる…
今までぐうたら遊んでばかりいた怠け者が、生まれ変わったようにバリバリ働きだす──昔の人は、よくこんな人を指して「ネコ魂が入った」などといった。ネコの体には、何か人智でははかりしれぬ摩訶不思議な魂が宿っていると考えたのであろう。 同様のいわれは…
〝おれ〟という言葉は、江戸時代の男は使わなかった。なぜならこの時代には、〝おれ〟は女性言葉だったのである。 〝おれ〟の語源は、一人称代名詞の〝あれ〟が変化してできたもの。 どういう経路をたどってか、いつしか女性が自分のことを〝おれ〟というよ…
元旦に家族そろって飲むお屠蘇。昔からこのお屠蘇を親から先に飲んではいけないと戒めている家庭は多い。なぜだろうか。 お屠蘇を年少の順、つまり年下の子供から先に飲めという作法は、儒教の教科書『礼記』の一節からきている。「君の薬を飲むは臣先ず嘗む…
中元といえば、毎年六月はじめから恒例のデパート商戦が開幕となる。 中元の品揃えを競った新聞の折り込み広告がさかんになり、休日のデパートの混みようは、テレビのニュースにもしばしばとりあげられる。 しかし、中元のそもそもの起源は中国の暦にあった…
着物姿の女性が履く足袋の色といえば、ほぼ白ときまっている。胸もとをつつむ半えりの白とともに、見る者に清々しい印象を与えるものだ。 男性はといえば、白足袋は滅多に履かない。男の白足袋は切腹のときときまっていたからである。足袋といえば木綿が主流…
旧暦の八月十五日を十五夜と称し、昔から月見にもっとも適した日とされてきた。では、十三夜をご存知だろうか。 こちらは旧暦の九月十三日。豆名月ともいわれ、やはり月見日和りの日である。「十五夜を祝ったら、十二夜も祝わなければならない」という言い伝…
昔から、山を畏敬すべき存在として、崇めたてまつる地方は多い。奈良県桜井市の三輪山などは、さしずめその典型であろう。 三輪山のふもとには、日本最古の神社といわれる大神神社がある。祭神は大物主大神、別名三輪明神とも呼ばれるが、この神社には本殿は…
初潮、処女喪失(結婚)、そして、出産──女性というものは、血を流しては次第に生まれ変わっていく生き物のようである。 そして、そのたびごとに、周囲の者は赤飯を炊いて祝ってきた。しかし、その反面、昔の日本では、女性が流す血を不浄のものとして忌む風…
三月三日のひな祭りをすぎると、どこの家庭でもひな人形を片づけてしまう。 「ひな人形を翌日飾りすると、お嫁にいけなくなる」といわれているからだ。実際に「お嫁に行けなくなる」かどうかはともかく、なぜ、ひな人形の翌日飾りはタブーなのだろうか。 ひ…
欧米から「ウサギ小屋」と酷評された日本人の住まい。そんな住宅事情を反映してか、お雛さまを飾る家が、年々少なくなってきた。 段飾りの雛段を飾るには、ウサギ小屋はあまりにも狭過ぎるのかもしれない。寂しいかざりである。さて、それはさておき、お雛さ…
東北の方角を昔から鬼門と称し、この方角に便所を建てたり、風呂や出入口をつくると家内によくないことが起こるという俗信が、いまだに全国的に残っている。 ある地方では、「鬼門に家を建ててはいけない」とか「鬼門の方向に当る家の者とは婚姻を結んではな…
座ぶとんに限った話ではないが、ふとんとはもともとたたんであるのを開いて敷くものだ。 芝居を見ていると、こんなシーンに出くわすことがある。舞台の上で役者が座ぶとんを人前に出すとき二つに折って折り目を手前にして持ってゆき、主人の横に坐り、いった…
数年前に、ある役所で「嫁ぐ」という言葉が、女性蔑視からきているとして、廃止になったことがある。 しかし、これはまったくの見当はずれ、日本語を知らない人の発想である。「トツグ」という語は、古代からあった大和言葉。 元来はセックスのことを指して…
子をもつ親にとって、子供の成長はうれしいものだ。七五三の日に、親子ともども着なれない晴着姿で、神妙な顔をして出かけるのも悪くはない。 近頃は○○スタイルと銘打って、人気テレビのキャラクターなどからヒントを得た格好もよく目にするが、子供の好みな…
「母親はお宮参りに行ってはいけない」──昔から伝わるこのタブーには、きっと首をかしげる方も多かろう。生後一カ月前後の赤ちゃんを抱いて参拝する家族の姿は、幸福そのものといった感じで、なかなかいいものだ。 たいていは父方のおばちゃんが晴れ着を着た…
「大晦日に早く寝ると、白髪が増える」と昔からいわれてきた。大晦日の夜は、どんなに疲れていても、起きていなくてはいけないらしい。 正月は新年のはじまりだけでなく、人々に幸福をもらたす歳神の来訪も意味している。大晦日の夜は、正月というハレの日を…
男と女の閨事は難しい。男が早く達しても女は満足せず、女が早く行きすぎても男は快感を得ることはできない。所詮、男女間のセックスは永遠に交わることのない平行線であると、中国の〝仙道〟では説いている。同じ中国に『千金方』という書物がある。 人の命…
まず代表者からはじまり、順々に部下の紹介へと移っていくのが西欧の人物紹介のやり方なら、日本の場合はまさしく逆。 ふつう目下の者からはじめ、しだいに目上の者へ、最後に代表者を紹介するのがならわしである。目上の人を先に紹介しては、とにかくいけな…
「右手で酒を飲むべからず」──昔の人は、よくそう戒めてきたものだ。なぜ、酒を持つ手は左手に限るのだろうか。 別に右手のほうが肴をつつきやすいからというわけではない。酒飲みを意味する左党からきているわけでもない。これは昔の武家作法にのっとったス…
江戸時代の川柳で庚申待ちを詠んだ句に、「寝て用がないで庚申夜をふかし」という句がある。 庚申待ちは中国の道教が起源、干支との庚申にあたる禁忌を中心とした信仰のことである。昔の日本では、庚申の日にみなが集まり、信仰行事がさかんに行われていた。…
正月に、自分が最も大切とするものに餅をそなえたのが、鏡餅のはじまりである。仏壇に供え、先祖崇敬の念をあらためたり、帳場の神棚に供えて商売繁盛を願うのはよく見かける光景だ。 鏡開きは一月十一日に行うのが常だが、徳川時代までは二十日ときまってい…
周知のように、日本では江戸時代までは〝肉食〟が固く戒められてきた。 誤解している人も多いようだが、この場合の〝肉〟とは鳥獣肉全般を指すのではなく、主として牛、豚類である。鳥をはじめ、狸、猪、鹿などは比較的食されていたようだ。 とはいえ、〝四…
玄関を上がったら、履物は向こう向きに「出船」の形にそろえておく。 料理屋や旅館、ごく一般家庭の玄関でも、「入船形」は嫌がられる。 なぜだろうか。歴史を遡ってみると、事の起こりは、多くの作法同様お茶の世界。躙り口をくぐって茶室に入る際、うしろ…
柏手は、神々の再来を祈って打たれるもの。伊勢の大宮司による八開手は八拍手ときまっているが、それ以外の場合は二拍手、神社でも二拍手がふつうである。 その昔、岩戸にかくれてしまった天照大神を再び呼び戻すために、神々が手を拍って迎えたのがはじまり…
片手ではなく両手を使った動作のほうが、一般に礼儀正しいとされている。 両手をひざまえに寄せてお辞儀をし、手みやげは両手をそえて相手に差し出すといった具合に、日本の立ち居振舞にはことさらその傾向が強い。 しかし、襖障子の開閉に限ってはその逆。…
「土用の丑の日」には、鰻を食べることになっている。夏の暑いさ中に鰻を食べるのはまた格別、確かに鰻は夏バテ防止に効力を発揮することだろう。 どうも一般には、土用イコール鰻という図式が浸透してしまっているようだ。 しかし、土用は鰻屋のためにある…
「鬼は外、福は内」ととなえて豆をまく──例年、二月の三、四日ともなると、どこの家庭でも目にすることのできるおなじみの節分の光景である。 このときまく豆は煎った大豆である。なぜ生の豆をまいてはいけないのだろうか。ただ鬼の眼をつぶすためだけに投げ…
正月は神仏来臨の祭りを行う季節、日常の生活と一線を画すために、古来より正月にはさまざまなタブーがあった。主な例を拾ってみよう。 「農事・山仕事・漁業その他の仕事をしてはならない」、「下肥を使ってはならない」、「鳴り物や騒音をたててはならない…
弁天さまは、七福神の一つとして、古来から、日本人の信仰の対象となってきた。 日本のあちらこちらに弁天さまを祀る神社があり、安芸の宮島、大和の天の川、近江の竹生島、相模の江ノ島、陸前の金華山が日本の五大弁天とされている。 これら各地の弁天さま…