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丙午の女が嫌われるのはなぜ?





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理屈では馬鹿げているとは知りながらも、心のどこかでやはり気になってしまうという俗信がいまだにある。

 

科学優先の現代にあっても、昔から培われてきた日本人の精神構造は崩壊していないようだ。丙午生まれの女性を忌む因習などは、その最たるものであろう。

 

政府の人口統計にも、それは如実にあらわれている。丙午の年にあたった昭和四一年の出生数は、前年に比べると、なんと約四六万人もの減少がみられるのである。

 

その反動からか、翌年の出生数は逆に九七万人も増加した。あきらかに丙午の年に女子を生みたくないという拒否反応がでたのである。丙午の女は、なぜこれほどまでに嫌われるのだろうか。その起因は江戸時代にさかのぼる。

 

五代将軍綱吉の治世の頃、天和の大火があった。本郷の八百屋の娘お七も家を焼け出され、家族と一緒に円林寺という寺に避難した。

 

そこでお七は寺小姓の吉三郎といい仲になったがそれも束の間、火事もおさまり、二人はやがて離ればなれに……吉三郎をどうしても忘れられないお七は、また火事になれば会えるだろうと、浅はかな恋心から放火をしてしまった。

 

有名な「八百屋お七」の一節である。このお七が実は丙午の生まれで、いつの間にか「丙午の女は嫁にもらうな」という流言が広く伝播してしまったというわけである。