通夜の席で死因をきくのは不作法?
通夜の席では、遺族、近親者、知人、親しい友人などが一夕をともにすることになる。遺族は、死という現実に耐え忍びながら、来客の接待に追われなくてはならない。
看病疲れのうえに、通夜、葬儀と気持ちは張りつめているものの、その疲労は激しいものがあるだろう。
通夜で大切なことは、故人の生前と同様に接し、遺族と悲しみをわかち合い、静かに時間をともにすることである。
型通りのおくやみの言葉を交わしても、故人の死因や死にいたるまでの過程をあれこれ尋ねたり、詮索していたのではその人間性も疑われかねない。
弔問客には初めての話でも、大勢の来客から同じことを聞かれる遺族にとっては、たまったものではなに時間をともにすることである。
型通りのおくやみの言葉を交わしても、故人の死因や死にいたるまでの過程をあれこれ尋ねたり、詮索していたのではその人間性も疑われかねない。
弔問客には初めての話でも、大勢の来客から同じことを聞かれる遺族にとっては、たまったものではないだろう。
また、思い出したくも、触れられたくもない、口に出してはいえない死因もあるはずだ。故人の死にかかわる問題は、通夜の席では避けるべきである。
むしろ、故人が元気だった頃の思い出話や、問わず語りに話す遺族の話を静かに聞いてあげるのが、思いやりであり、通夜にふさわしい話題なのではないだろうか。
そして、また、遺族の方には早く休んでいただくように、ダラダラと長居せず、適当な時間できりあげることも大切な思いやりの一つであるはずだ。
通夜の席では、故人の死因よりも、その冥福を心から祈ってあげるべきなのである。