30代のやってはいけない冠婚葬祭作法

知らないではすまされない「冠婚葬祭」マナー

鬼門に便所を建ててはいけない

東北の方角を昔から鬼門と称し、この方角に便所を建てたり、風呂や出入口をつくると家内によくないことが起こるという俗信が、いまだに全国的に残っている。

 

ある地方では、「鬼門に家を建ててはいけない」とか「鬼門の方向に当る家の者とは婚姻を結んではならない」。

 

さらには、「鬼門のほうへの移転は厳禁」「鬼門の方角にある樹木を剪ってはならない」など、この鬼門にまつわる俗信は枚挙にいとまがない。

 

しかし、これを俗信として笑いとばしてよいとは、いいきれないところもあるのだ。現代のように水洗トイレが完備された時代ならいざしれず、かつては臭気などを考察すると、あまり陽の当たらぬジメジメした方向に厠など建てられなかったのかもしれない。

 

そうした建造物の構造的配慮からいわれていたことが、いつの間にか迷信的な言い伝えに代ってきたものと思われる。

 

この鬼門の出典は、どこらあたりにあるのかは定かではないが、十二支をもって方位をしめした気学や、中国の『山海経』の中に鬼門について書かれた箇所があって、民間の鬼門説を形づくるに、大きな影響をあたえたとみられる。

 

建築技術の進歩した現代では、鬼門はさほど気にするタブーでもないだろう。鬼門に移転を余儀なくされた会社が、その後、隆盛をきわめたという話もよく耳にする。

座ぶとんを開いたまま出すのはホントは不作法

座ぶとんに限った話ではないが、ふとんとはもともとたたんであるのを開いて敷くものだ。

 

芝居を見ていると、こんなシーンに出くわすことがある。舞台の上で役者が座ぶとんを人前に出すとき二つに折って折り目を手前にして持ってゆき、主人の横に坐り、いったん座ぶとんを広げてからずらして主人に敷かせる。

 

かつては、めんどうでもこのやり方が正式作法だった。ものを開くということは縁が開かれることに通じ、つまりはそこにおめでたい意識があるのだ。

 

また座ぶとんを目の前で開いて見せることによって、タネもシカケもありません、安全ですよと相手の警戒心を解く意味も込められているらしい。

 

座ぶとんの作法は、茶道の礼儀作法がもとになってできている。お茶ぶとんは綿が少なくて薄い。だから簡単にたたむことができたのだ。

 

しかし、茶道の作法とはいえ実際のお茶席では初めから座ぶとんは敷いておくもの。人が坐ってから改めて出すわけではない。

 

この影響がやがて家庭生活にもあらわれて、今ではやはり前もって座ぶとんを敷いておくようになった。開いたまま出すのが当然のようになってしまってはいるが、本来の作法から考えればタブー。

 

芝居の舞台で見られるようにするべきなのだ。二つ折りにした座ぶとんを相手の側面からサッと広げる、そんな心使いから思わぬ縁が開けてくるものなのかもしれない。

「嫁ぐ」という言葉はみだりに使うと恥ずかしい?

数年前に、ある役所で「嫁ぐ」という言葉が、女性蔑視からきているとして、廃止になったことがある。

 

しかし、これはまったくの見当はずれ、日本語を知らない人の発想である。「トツグ」という語は、古代からあった大和言葉。

 

元来はセックスのことを指していたのである。トは女陰を意味する古語。当時は出入りするところはすべて卜=戸と呼んでいた。

 

ホは穂で男の一物を指す。セックスは、卜をホでツグ行為だからトツグなわけである。女性蔑視などとは、まったく次元の違う言葉なのだ。本当の意味を知ってしまえば、むやみに使えなくなる言葉でもあるが……。

七五三の五歳の祝い、女の子が祝ってはいけない?

子をもつ親にとって、子供の成長はうれしいものだ。七五三の日に、親子ともども着なれない晴着姿で、神妙な顔をして出かけるのも悪くはない。

 

近頃は○○スタイルと銘打って、人気テレビのキャラクターなどからヒントを得た格好もよく目にするが、子供の好みなのか、はたまた親の趣味なのか、考えさせられてしまう光景ではある。

 

七五三とはそもそも、「髪置」(髪を伸ばし始める)といわれる三歳のお祝いから、男の子が初めて袴を着る五歳の「袴着」、そして、女の子が腰ひもを取って、初めて帯をつける七歳の「帯解」のお祝いを指す。

 

三歳の祝いは、男女ともに行い、江戸時代では「髪置」という儀式の名の通り、子供の髪を切ったり、櫛ですいたりしていた。

 

五歳の「袴着」の祝いは、女の子は祝ってはいけないとされている。七五三の祝いのなかで、唯一、男の子だけのものなのだ。

 

もっともそうなったのは近世に入ってからで、中世までは女の子も袴をつけていたため、男女両方の祝いであった。袴をつけるということは、子供が幼児期から児童期にうつったことを象徴していたのだ。

 

七歳の「帯解」の祝いは、女の子固有のものであることは周知の通り。何にせよ、一番大切なことは子の成長を願う親の気持ちなのだが……。

母親はお宮参りに行くなというのは本当か?

「母親はお宮参りに行ってはいけない」──昔から伝わるこのタブーには、きっと首をかしげる方も多かろう。生後一カ月前後の赤ちゃんを抱いて参拝する家族の姿は、幸福そのものといった感じで、なかなかいいものだ。

 

たいていは父方のおばちゃんが晴れ着を着た赤ちゃんを抱き、両親がそのあとにしたがうか、あるいは父親が赤ちゃんを抱き、夫婦だけでお参りするか、いずれかのようである。

 

そもそも母親がお宮参りに行ってはいけないとされた理由は、お産というものを「忌」(不浄をさけて慎むこと)と考えた昔からの習俗によるものだ。

 

母親の忌明けは七五日から百日前後とされ、子の忌明けの二十日前後には、まだ忌の期間のために参拝はできないということになっていたのである。

 

しかし、これはすべての人がどこかの神社の氏子だったという江戸時代の習俗。それがかろうして根づいていた昭和のはじめならともかく、氏神・氏子の意識もほとんど薄れかけた現代にあって、人々の忘れるところとなったのも無理からぬ話だと思われる。

 

現代のお宮参りは、みんな軽い気持ちで神社に出かけるようだ。なにしろリースの晴れ着を着た赤ちゃんも出てくる世の中である。江戸時代の人がこの光景を見たら、さぞかし目を丸くすることだろう。

大晦日の夜は早く寝てはなぜいけない?

「大晦日に早く寝ると、白髪が増える」と昔からいわれてきた。大晦日の夜は、どんなに疲れていても、起きていなくてはいけないらしい。

 

正月は新年のはじまりだけでなく、人々に幸福をもらたす歳神の来訪も意味している。大晦日の夜は、正月というハレの日を前にした特別な日であり、古代風に考えれば、すでに元旦に入っているのである。

 

学者の説によると、祭日や年中行事に際しての古代人の一日のはじまりは、現在の午後六時頃からだったようだ。

 

大晦日の夕食を年越し、年取りともいい、祭りの日の神饌が前日の夕御饌からはじまり、翌日の朝御饌で完成することなどが、その証拠であるといわれている。今でもその名残りか、京都の八坂神社では、大晦日の夜、神前に供えるために浄火が燃やされる。

 

おけら参りといわれ、人々は火縄につけた火を持ち帰り、それで元旦の雑煮を煮て新年を祝うのである。

 

「大晦日に早く寝るな」というタブーを持ちだすまでもなく、この日ばかりはどこの家庭でも、夜更かしをしている人が多い。除夜の鐘を心ゆくまで聞いて、鳴

接して洩らさずは間違いか?

男と女の閨事は難しい。男が早く達しても女は満足せず、女が早く行きすぎても男は快感を得ることはできない。所詮、男女間のセックスは永遠に交わることのない平行線であると、中国の〝仙道〟では説いている。同じ中国に『千金方』という書物がある。

 

人の命は千金にもかえがたいというところから、その名がついたといわれている本である。

 

江戸時代の学者、貝原益軒はこの『千金方』を引用して『養生訓』をあらわし、「接して洩らさず」が大切であると説いた。

 

しかし、これは明らかに間違い。理由は簡単。「洩らさず」より「洩らし」たほうが健康にもよいからだ。おおいに「洩らす」べし。